嵯峨上皇と淳和上皇─『日本後紀』序文の「一天両日」と堯・舜の喩を起点として─
木下綾子
承和8年(841)修訂の『日本後紀』「序文」に見える「一天両日」が,天長3年(826)の空海「奉為桓武皇帝講太上御書金字法花達_」(『遍照発揮性霊集』巻六・45)を典拠とすることを指摘し,この表現が嵯峨と淳和の紐帯を強調するほか,それぞれの皇子,仁明天皇と皇太子恒貞親王の権威を形象し,両系統の均衡を保つ願いが込められていると解釈した。
文学研究論集(明治大学大学院)
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http://ci.nii.ac.jp/naid/40015399260