宇多朝の菊と文章経国思想─嵯峨朝重陽詩の受容─
木下綾子
重陽宴詩に描かれた菊花の象意を端緒に,嵯峨朝と宇多朝との文章経国思想の相違を解明する。宇多朝の菊が,嵯峨朝における天皇の延命長寿や永遠性という意味に加え,親政の象徴となったのは,宇多天皇が嵯峨朝の文化のみならず天皇主導による文治政策の復活をも企図したためであり,またその転換点は寛平2年(890)閏9月12日の菊花宴における親政宣言にあった,と論じた。
文学研究論集(明治大学大学院)
明治大学大学院
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http://ci.nii.ac.jp/naid/40005747606http://ci.nii.ac.jp/ncid/AN10475817